Well-being
2025.5.29

「場」の切り替えが活力の鍵

経営に欠かせない要素として「ウェルネス」や「Well-being」が注目されています。不確実性が高まっている世の中で企業が生き抜くためには、心身ともに健康でイキイキと働く社員を増やすことが大切です。社員の病気やケガを予防するだけにとどまらず、創造性を引き出し、生産性を高めるWell-being経営とは何か。 産業医と取締役執行役員の2つの顔を持つ丸井グループの小島玲子氏が解説します。 出典:「日経ESG」連載「『しあわせ』が企業価値を高める ウェルビーイング経営のススメ」より

目次

    休息とは何もしないことではなく、フロー状態は休息にもなる。フロー状態に入れる「場」を複数持つと、戦略的な休息につながる。

    ウェルビーイング経営は、「経営」と言う以上、何をやって何をやらないかの戦略を示して経営上の効果につながる道筋を示す必要があると思います。丸井グループの「IMPACT BOOK(インパクトブック)」は、それを示したものです。2024年7月に第2弾を公表しました。

    インパクトブックでは、「インパクト(社会課題解決)と利益の二項対立を乗り越える」という「ビジョン 2050」の実現に向けた重点項目と数値目標を示しました(下の図)。未来に向けて各項目がどのような財務的価値につながるかを表したロジックモデルも掲載しています。

    ■丸井グループが掲げる社会課題解決に向けたインパクト項目とKPI
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    ※LTV:顧客生涯価値 IRR:内部収益率

    インパクト(社会課題解決)の重点項目は、取締役会の諮問委員会(社外取締役が議長を務め、社長を含む社内外のメンバーで構成)の議論を経て策定している
    (出所:「IMPACT BOOK 2024」(丸井グループ)より一部抜粋)

    中でも、共創によって新たな価値を創出するという経営方針において、「働き方と組織のイノベーション」の項は重要です。イノベーションを起こせる人と組織を育むために、心理学的に創造性の高い人に見られる要素として、(1)「好き」を仕事に活かしている、(2)挑戦意欲が高い、(3)「フロー状態」にあるという3つを選択し、それぞれについて具体的な数値目標を置きました。

    活力が高い人の脳の使い方

    フロー状態は、自分の能力を使って主体的に挑戦し、その行為に没頭している時の感覚で、深い喜びや充実感、自信や成長につながります(本連載第14回に詳細)。

    何かに没頭している時、周囲の音がうるさくても気付かないといった経験はないでしょうか。これは、その時打ち込んでいる行為をするのに必要な脳の領域が局所的に活性化する一方で、聴覚を含めたほかの脳領域の活性は落ちることによる現象です。別の言い方をすれば、必要な領域以外の脳は使われずに「休息している」のです。武道ではこの状態を「無の境地」、スポーツでは「ゾーン」と呼び、その人の最高のパフォーマンスが引き出されます。

    逆に、いろいろな物事に気を取られて集中できず、周囲の音にもイライラし、大して仕事が進んでいない割に1日終わるとグッタリ......。こんな時は、あちこちの脳領域が混乱して"発火"している状態です。生産性は低く、頭も疲れるばかりです。

    長年、産業医として企業で活力が高い人たちを観察していると、日頃は精力的に仕事に取り組み、休日はサーフィンや音楽に打ち込むなど、それぞれの行為への集中度合いが高い人が多く見られます。

    昔は「この人は一体いつ休んでいるのか」と思っていましたが、活動が異なれば使う脳も異なります。サーフィンに没頭している時、その人は仕事で使う脳領域を休息させているのです。存分に趣味を楽しみ、仕事で使う脳も回復して活力が高まる好循環です。ただし、こういう人ばかりではありません。休日は家でぼんやりテレビを見ていても無心になれず、頭が疲れたまま再び出勤という悪循環のケースもよく見ます。

    活動の「場」を複数持つ効果

    活動の「場」を意図的に切り替えて、それぞれの行為に集中し、フローを体験して喜びや充実感を得ると同時にリフレッシュする。これは仕事にも応用できます。例えば、同じテーマの会議を何時間も続けると集中力が低下していきます。集中できる時間は限られるので会議は短時間で終わらせて、現場に行って歩き回り、多様な人と話して着想を得る。このように活動の「場」を意識して切り替え、異なる物事に集中し、異なる脳の領域を使うことによって、戦略的に集中と休息のゆらぎをつくると良いでしょう。

    とはいえ、毎日同じ仕事をしていてはこうしたゆらぎをつくるのは難しいもの。脳を戦略的に休息させて活力を高めるためには、職場や会社の壁を越えた場を複数持つのが有効です。

    フロー理論を提唱したM.チクセントミハイ氏は、創造性の高い人の特徴について研究しました。それによると、創造性の高い人は、外向性と内向性、遊び心と規律、空想と現実感など、相反する特性が共存するゆらぎを持っているとわかりました。それらは同時に発動されるのではなく、場に応じて別のモードに切り替わるのです。こうした能力はどのように習得されるのでしょうか。

    例えば科学研究に没頭する一方、マラソンに挑戦するなど、挑戦度合いと集中度合いの高い複数の場を切り替える体験をくり返す過程で、思考や体の使い方に関するモードの複雑性を会得していくのです。つまり創造性の高い人とは、さまざまな場面でフローを体験している人なのです。

    当社の全社調査(対象は5060人)においてもこうした傾向が見られました。同じ場にとどまらずに仕事をしている人(「社内外を問わず自職場の壁を越えて仕事をしている」という設問に「とてもそう思う」と回答した518人)のフロー比率(フローに入りやすい状態にある社員比率)は70%に上り、全社平均より20ポイント以上も高い結果でした。

    フロー状態に入れる「場」を複数持てると、脳の休息にもなるため活力が高く、前向きな感情で仕事に臨めます。実際、「全社横断イニシアチブ」や「共創チーム」など、現業の他に活動の場を持つ人は、そうでない人に比べて、「会社のミッションと自分の仕事を重要だと感じる」割合が18%高く、ポジティブな心理状態にありました。

    日中の大半の時間を占める仕事でさまざまなフローを体験できれば、中長期的にその人の人生のしあわせを増やすことにつながります。1952年にノーベル平和賞を受賞したアルベルト・シュバイツァー医師はこう言いました*。「これまでに出会った中で本当に幸福な人たちは、何らかの仕事に没頭している人たちだった」
    *「宿命を超えて、自己を超えて」(V.E.フランクル著、F.クロイツァー聞き手、山田邦男・松田美佳訳/春秋社)

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