Well-being
2021.1.30

VUCA時代を生き抜くには 健康からウェルネスへ

経営に欠かせない要素として「ウェルネス」や「ウェルビーイング」が注目されています。不確実性が高まっている世の中で企業が生き抜くためには、心身ともに健康でイキイキと働く社員を増やすことが大切です。社員の病気やケガを予防するだけにとどまらず、創造性を引き出し、生産性を高めるウェルネス経営とは何か。「『しあわせ』が企業価値を高める ウェルネス経営のススメ」というテーマで、産業医と執行役員の2つの顔を持つ丸井グループの小島 玲子が解説します。

目次

    出典:「日経ESG」2020年12月号 連載「『しあわせ』が企業価値を高める ウェルネス経営のススメ」より

    幸福な社員は幸福でない社員よりも創造性が3倍高く、生産性も1.3倍高い。不確実性が高まる中で企業が生き残るためには「ウェルネス」な社員が欠かせない。

    「なぜ産業医の先生が経営にかかわるようになったのですか?」。私が社外で講演をすると必ず聞かれる質問です。

    本連載では、人と組織の活性化について、企業の執行役員であり、専属産業医でもある、私の2つの立場から見えてくることをお話ししたいと思います。キーワードは「しあわせ」と「ウェルネス」です。最近は「ウェルビーイング」という言葉を聞く機会も増えています。不確実性の高い時代により良く生きるために欠かせない考え方です。

    連載第1回では、なぜ私が人と組織の活性化に注力するようになったのか、約20年の産業医としての経験を振り返りながらお話ししていきます。

    代表である青井との対話が転機に

    「産業医」と聞くと、具合の悪い社員を診る存在と思われているかもしれません。もちろんそれも大切な役目です。しかし意外と知られていないことですが、全国すべての医学部ではカリキュラムの多くの時間を、人間の心身が機能する基本的な仕組みや構造を学ぶことに費やします。内科などの専門分野を決めるのは、医師国家試験に合格した後です。

    医師は「病気対処屋さん」だけではありません。社員の心身の活力を高めることに医学は貢献できるのです。特段の有害環境がない職場において、産業医が担える大きな役割とは、健康を通じた人と組織の活性化ではないかと思いました。そこで医師になった後も、産業医を続けながら大学院に入り、人と組織の活性化についてさらに学びました。

    メーカーの産業医を約10年務め、丸井グループの専属産業医になったのは2011年のことです。現在は、産業医であると同時にウェルネス推進部(2020年4月に健康推進部から改称)の部長として、「ウェルネス経営」を推進しています。今の役割を担うようになった決定的な分岐点は、着任1年後に代表の青井と話したことだったように思います。

    通常、産業医が経営者と直接会って話す機会はほとんどありません。私も入社当時はそうでした。なぜ私が青井と話すことになったのか。それは、私がまとめたあるレポートが人事担当役員の目に留まり、30分だけ青井にその内容を伝える時間が取られたからでした。

    企業は毎月の安全衛生委員会に産業医を出席させることが法律で定められています。当時私は、丸井の店舗や事業所を毎月20カ所以上訪問していました。すると店舗によって、職場の空気が違うことに気がつきました。例えば、社員数が2,000人いるような大型店では職場での挨拶もなく、やや殺伐とした印象でした。一方、社員数が100人に満たない小型店は声を掛け合うアットホームな雰囲気。そこで横断的に事業所を訪問した印象と、メンタルヘルス不調者数などのデータを組み合わせたレポートをつくりました。

    ところが、いざ青井さんに会って報告するとレポートへのコメントはなく、しばし沈黙が流れました。不安になってきた時、青井から一言。「小島先生の活動のゴールは何ですか?」と聞かれたのです。

    そのころ、丸井グループは業績回復の途上にありました。経営危機を抜け出すため、青井は原点に立ち返って自社の価値を確認するところから始めようと、多くの社員に人生の目標や生きがいを聞いていたのです。

    私にとって、実はこれこそが聞いてほしい問いでした。何年間もずっと、産業医の存在意義とは何かを考え続けてきたからです。青井の問いかけに対して、「私は医師として、健康を通じた人と組織の活性化をしたいのです」と、強い思いを話ししました。すると、青井の表情にみるみる血が通っていくのが分かりました。

    「私は社員がフローに入れる会社をつくりたいんです」。青井からは、笑顔でこんな答えが返ってきました。フロー状態というのは、人が我を忘れて何かに没頭している状態です。「最適経験」とも言われ、人が最も学びを得て充実感を感じられる状態です。私もフロー状態が人と組織の活性化の一つの鍵と考え、研究していたので、話が一気に盛り上がりました。青井代表との対話は、気づけば1時間を超えていました。

    あのとき、「社員の不調に対応すること」と答えていたら、ウェルネス経営の旗振り役を任されることはなかったと思います。

    自ら考え行動できる社員に

    さて、では今なぜウェルネスやWell-beingが経営上注目されているのでしょうか。それは、VUCA(Volatility=変動性、Uncertainty=不確実性、Complexity=複雑性、Ambiguity=曖昧性、の頭文字を取った造語)の時代と言われるように不確実な世の中になり、社員一人ひとりが自ら考えて行動するようにならなければ企業は生き残れなくなってきたからだと思います。

    米イリノイ大学の研究では、幸福な社員は幸福でない社員よりも創造性が3倍高く、生産性が1.3倍高いことが分かっています。

    「ウェルネス」の言葉の定義はいくつかありますが、1960年代に米国の医師が「輝くようにイキイキしている状態」としたのが最初だそうです。当社では2013年から「女性ウェルネスリーダー」という女性の健康を支援する担当者を各事業所に置いており、社員になじみのある言葉だったので「ウェルネス経営」と呼んでいますが、目指す目的はWell-beingと同じ。一人ひとりがより良く生きられる人・組織・社会をつくることです。

    企業はこれまでの延長線では生き残れなくなってきた今、イノベーションが必要です。イノベーションを生むのは創造性であり、それを発揮できるウェルネス、ウェルビーイングな人を増やすことが大切です。そういう取り組みをしている企業は、働く側にも魅力的に映ります。

    経済産業省が就活生とその親に実施した2018年のアンケートでは、就職先の選定基準として「従業員の健康や働き方に配慮している」を挙げる人が最も多いことが分かりました。給与水準や雇用の安定で選ぶ時代ではなくなっているのです。

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    就職先の選定基準

    就活生(1,399人)と、就職を控えた子を持つ親(1,000人)を対象に実施したアンケート結果から一部抜粋。就活生には「将来、どのような企業に就職したいか」、親には「どのような企業に就職させたいか」を尋ねた(複数回答)
    (出所:「『健康経営銘柄2018』及び『健康経営優良法人(大規模法人)2018』に向けて」(経済産業省))

    人材の確保にも大きくかかわるウェルネスやWell-beingの重要性を企業も認識しつつあります。多くの企業が健康経営をうたっているのはその表れですが、適切に理解されていない面も見受けられます。次回から、詳しくお話ししていきます。