Well-being
2023.3.14

情動の上手なマッチング 情動が人と組織のエネルギーを決める(3)

経営に欠かせない要素として「ウェルネス」や「ウェルビーイング」が注目されています。不確実性が高まっている世の中で企業が生き抜くためには、心身ともに健康で生き生きと働く社員を増やすことが大切です。社員の病気やケガを予防するだけにとどまらず、創造性を引き出し、生産性を高めるウェルビーイング経営とは何か。
産業医と取締役執行役員の2つの顔を持つ丸井グループの小島玲子氏が解説します。
出典:「日経ESG」連載「『しあわせ』が企業価値を高める ウェルビーイング経営のススメ」より

目次

    人と組織を活性化するには、戦略的に人々の「情動」を喚起する必要がある。ただし、ひたすらポジティブになれば良いわけではなく、特性に合わせた使い分けが重要だ。

    「変化の時代に生き残るには、チャレンジ精神が大切」「物事をポジティブに捉えよう」などと社員に呼びかけても、失敗を恐れてなかなか挑戦しない。そんな憂いを抱える企業リーダーは多いと思います。なぜ多くの人がそうなのか、今回はその本質を見ていきます。

    ネガティブ情動の影響は大

    「コインを投げて表だったら15万円もらえるが、裏だったら10万円失う」という賭けがあったら、あなたはやりますか。一般にやらない人の方が多いといわれます。今度は、次の2つのうち必ずどちらか1つを選ばなければならないとしたら、どちらを選びますか。

    A:6万円を必ず支払う(損失確定)
    B:80%の確率で10万円を支払うが、20%の確率で何も支払わなくてよい

    期待値を考えればBは8万円の損なのでAを選ぶ方が得なのですが、一般にBを選ぶ人が多いです。損失が確定するのがイヤで、損をしない可能性がある選択に「打って出る」傾向があるためです。

    最初の賭けでは、それが確率論的に得なのにやらない。次の賭けでは、確率論的に危険な方に突っ込む。これは無意識のネガティブ情動の影響を受けた時の人間の心理特性です。

    心理学者でありながらノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマン氏が提唱したプロスペクト理論によれば、人は確率論通り、合理的には行動せず、状況や条件によって確率を歪めて価値を判断する傾向があるのです。

    経営上の判断ではどうでしょうか。成功する確率があるのに、リスクを嫌って行動せずに大事なチャンスを逃す。苦しい状況に追い詰められると損切りができず、危ない選択に突き進んでしまう。

    プロスペクト理論から、人間がどのくらいネガティブ情動の影響を受けやすいか見てみましょう。例えば10万円もらったときの心理的な価値が「1」だとすると、20万円もらったら「2」になるかというと実際は1.5くらいです。

    逆はどうでしょうか。10万円損をしたら「1」ガッカリかというとそうでなく、もらった時に比べて2倍くらいガッカリする。これは米国人の実験データです。人によって違いはありますが、日本人は守りに入りやすく3倍くらいだろうと言う研究者もいます。ポイントは、「人はネガティブな情動に2倍以上、強く影響を受けやすい心理傾向がある」ということです。

    得意分野が違う

    情動とは、「生存にとってネガティブな要素から遠ざかり、ポジティブな要素に近づくよう心身をセッティングして行動を起こさせるもの」です。不安や恐怖といったネガティブ情動も、生存のためには必須なのです。単純にポジティブが良い、ネガティブが悪いというものではなく、それぞれの特性(得意分野)が異なります。「必要な場面で、必要な情動を喚起できる」ことが重要です。

    ネガティブ情動の得意分野は、「防衛」です。短期の対応、危機から遠ざかる行動、失敗の回避に効果的です。計算ミスを発見する課題に対して、しかめっ面で作業をした群の方が、ニコニコして作業した群よりも失敗の発見率が高いという実験結果もあります。

    ポジティブ情動の得意分野は、「挑戦」です。未来志向、視野を広げた思考、創造性、「フロー状態」の誘導に有効です。日頃からネガティブ情動が中心の人は、問題解決に強い一方、新しい境地を開く思考は弱い場合が多いといえます。

    ネガティブ情動とポジティブ情動、両方同時には発動できません。必ずどちらかの情動モードが「優位」になるため、リーダーは「今の場面では、どちらのモードを発動すると効果的か」を意識して情動の喚起を図る必要があると思います。

    ■ ネガティブ情動とポジティブ情動、特性の違い

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    ポジティブがとにかく良いわけではなく、情動にはそれぞれ「得意分野」がある。ネガティブ情動は、生存に向けた防衛行動の源となる情動なので元来強力なうえ、ストレスがかかると人の情動はよりネガティブに偏りやすい。チャレンジ精神の高い組織を育むのなら、戦略的にポジティブ情動を喚起する仕組みや場を創る必要がある

    ちょっとしたしあわせの効果

    ポジティブ情動の効果や利点は「ハピネスアドバンテージ」と呼ばれ、多くの研究があります。例えば、わずかな幸福感があると医師の診断の正解率が2倍になるという実験があります。医師の幸福感を高めるために、何をしたと思いますか。スタッフが明るい表情で医師にアメを渡したのです。ポイントは「ほんのちょっとしたことで、思考がポジティブモードに切り替わった」点です。ポジティブ情動の得意分野である「視野を広げた思考」が引き出され、多くの可能性を考えながら診断できたと考察されています。

    何か大きなしあわせでなくとも、ほんのちょっとのしあわせ感に、ポジティブ情動モードのスイッチを入れる効果があるのです。

    丸井グループの全社横断プロジェクトでは、40~50人のメンバーが創造性を発揮しながらさまざまな活動を行います。プロジェクトでは、毎回最後に皆で意味感を確認するなど「ポジティブに終わる」工夫をしています。また、場の空気をポジティブモードに切り替えるために、「ちょっとした仕掛け」を随所に取り入れています。

    場の空気が変わるのがよくわかるのは、話が煮詰まってきた頃合いの「補食タイム」です。お菓子をシェアして頬張りながら、笑顔で対話すると、明らかに発言やアイデアが活発に出るようになります。プロジェクトを主催する私はその様子が見たくて、毎回、皆の分のお菓子を買い込んで会場に行っていました。

    人のチャレンジ精神を引き出したいなら、職場の中にユーモアや、笑顔になる場面を意図的につくり、モードチェンジを図ることが大切と思います。日々の情動に基づく「人の行動の積み重ね」が、やがては仕事の成否を分けるのです。