Well-being
2023.7.7

企業理念を「実装」する ~人的資本投資の価値創造ストーリー~

経営に欠かせない要素として「ウェルネス」や「ウェルビーイング」が注目されています。不確実性が高まっている世の中で企業が生き抜くためには、心身ともに健康で生き生きと働く社員を増やすことが大切です。社員の病気やケガを予防するだけにとどまらず、創造性を引き出し、生産性を高めるウェルビーイング経営とは何か。 産業医と取締役執行役員の2つの顔を持つ丸井グループの小島玲子氏が解説します。 出典:「日経ESG」連載「『しあわせ』が企業価値を高める ウェルビーイング経営のススメ」より

目次

    企業理念は、事業や施策を通じて一貫して実践されなければ意味がない。理念を「実装」する人的資本向上の取り組みについて、丸井グループの実例を紹介する。

    なぜ、それをやるのか?

    2022年8月に内閣官房より「人的資本可視化指針」が発表されて以降、これに困惑する企業も多いという記事を目にします。「お上が言うから」「投資家から求められるから」やらないと...という受け身の姿勢も見え隠れします。「なぜ、うちの会社が人的資本投資に注力するのか」という本来の目的を整理すべき時です。

    今回は、丸井グループの実例を通して、人的資本投資の価値創造ストーリーと企業理念の「実装」について考えてみます。

    丸井グループが人的資本に注力する目的は、社員の創造性を高めて価値あるサービスやビジネスを新たに創り出し、将来世代を含むすべてのステークホルダーの「しあわせ」と利益の重なりを広げることです。これはWell-being経営そのものでもあります。当社の価値の源泉は、技術や特許ではなく「人の力」がすべてです。そのため2007年に「お客さまのお役に立つために進化し続ける」「人の成長=企業の成長」という企業理念を明文化しました。

    この理念を実装すべく、おもに7つの施策を同時併行で進めました。手挙げの企業文化の醸成、対話の促進、働き方改革、多様性の推進、職種変更(異動)による統合力の向上、人事評価制度の改正、健康経営の取り組みです。例えば、全社プロジェクトへの参画など何らかの機会に自ら手を挙げた社員は、現在までに全社員の87%に上ります。2017年には、理念を実装するため人事評価制度を改正しました。それまでは業績(パフォーマンス)で評価していたものを、「バリュー」×「パフォーマンス」の二軸評価としたのです。

    日々の仕事を通じて企業理念を実践できているかなどを「バリュー」と呼んで基準を設け、上司、同僚、部下からの360度評価を実施することで、「人の成長=企業の成長」という理念の実装を促す仕組みです。パフォーマンスは短期評価として賞与に、バリューは中長期評価として昇進・昇格に反映されます。

    これらの施策を進める中で、実際に新たなビジネスがいくつか生まれています。例えば、2016年にお客さまの「好き」を応援しようと発足したアニメ事業は、店頭イベントの活用や「エポスカード」の券面変更など小売とフィンテックが連動し、現在では取扱高約100億円の事業に成長しました。2022年には新たに資産形成と社会貢献を両立できる「応援投資」のサービスを開始し、好評です。

    効果をどう測るか?

    新たなサービスやビジネスの創出を通じて人々のしあわせを高めるために、「一人ひとりの『好き』を応援する選択肢を350万人以上のお客さまに提供する」など複数のKPI(重要業績評価指標)を設定し、2026年度まで5カ年の新中期経営計画として公表しました。

    価値を創り出す社員のWell-beingを測る指標としては、「比較可能な指標」と「独自の指標」に分けてKPIを設定しています。

    比較可能な指標は2種類あります。自分の力を十分に発揮できているかを見る「プレゼンティーズム指標70以上(最大限に力を発揮している状態が100)」と、仕事に対するポジティブな心理状態を見る「ワークエンゲージメント指標2.8以上(100点満点換算で70以上)」です。いずれも結果を公開しています(※)。

    ※ プレゼンティーズムは「WHO-HPQ(WHO健康と労働パフォーマンスに関する質問紙)」、ワークエンゲージメントは「新職業性ストレス調査票(80問版)」による回答結果を評価。

    独自の指標としては、しあわせに関するものを複数設定し、測定しています。例えば、「自分が職場で尊重されていると感じる」「強みや個性を活かしてチャレンジしている」と答えた社員の割合は、「手挙げの文化」が根付く前の2012年と比べると、この10年間でそれぞれ29%から66%に、39%から52%に増えました。

    私は、人的資本の指標としてのワークエンゲージメントには、社会的な課題もあると感じています。ワークエンゲージメントとは、仕事に誇りを感じ、仕事に熱中し、仕事から活力を得ている状態を指す言葉です。労働者の健康を支える「産業保健」の世界では、2000年代から知られる概念でした。私は産業医として、複数の企業で10年以上この概念と接する中で、自ら「やる」と決めた仕事だと人がイキイキ働ける様子を目の当たりにしてきました。

    働く人のワークエンゲージメントを真に高めるなら、社会全体の雇用の流動性を高め、働く人がもっと柔軟に幅広いキャリアを選択しやすい社会にしていく必要があります。個々の企業だけでワークエンゲージメントを高め続けるのは限界があるように思います。

    人的投資リターンを可視化

    2022年、丸井グループは人的資本投資のリターン予測を決算説明会で公表しました(下の図)。教育・研修費や新規事業に携わる社員の人件費などを合わせた人的資本への投資を2026年度に150億円(2022年度比150%)まで拡大します。この投資効果を測定モデルで試算し、2026年3月期に収入がコストの5倍、人的資本投資の内部収益率(IRR)は11.7%となり、株主資本コストを上回ると見込んでいます。(※2022年5月時点の試算)

    ■ 丸井グループの人的資本投資のリターン予測

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    丸井グループは人的資本投資のリターンを可視化している。イノベーションを起こしやすい組織風土づくりを通じて、新規事業や新サービスの創出につなげる。これによって得られる収入(限界利益)をリターンとし、採算性を算出した。試算では、中期経営計画最終年度の2026年3月期に、収入がコスト(単年度ごとの人的資本投資額を10年間で償却したもの)の5倍になると見込む
    (出所:丸井グループ)

    人的資本に関する今後の課題は、デジタル技術を活用して事業を創出できる人材の育成です。デジタル研修を充実させるとともに、社内版「アプリ甲子園」(アプリ開発コンテスト)を開催し、隠れたデジタル人材の発掘に取り組んでいます。さらに、2022年9月に設立された東京大学メタバース工学部の活動に、企業として参画しています。まずは自ら手を挙げた社員から選抜された100人が、この10月から同校で4種類のリスキリングプログラムを受講しています。

    企業理念は、実装してこそ価値につながります。昨今の人的資本投資への注目は、働く人のウェルビーイングを高める上で良い傾向と捉えています。しかし、世の潮流にただ乗るのではなく、今こそ企業理念に基づき、自社らしい価値の創出をめざしたいところです。

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