Well-being
2023.10.10

「同調圧力」の逆利用

経営に欠かせない要素として「ウェルネス」や「ウェルビーイング」が注目されています。不確実性が高まっている世の中で企業が生き抜くためには、心身ともに健康で生き生きと働く社員を増やすことが大切です。社員の病気やケガを予防するだけにとどまらず、創造性を引き出し、生産性を高めるウェルビーイング経営とは何か。 産業医と取締役執行役員の2つの顔を持つ丸井グループの小島玲子氏が解説します。 出典:「日経ESG」連載「『しあわせ』が企業価値を高める ウェルビーイング経営のススメ」より

目次

    「社員にもっと主体的に行動してほしいが、受け身の人が多い」と嘆く企業は少なくない。人々が望ましい方向に行動するように組織の力学を働かせるのが肝要だ。

    良いとわかっていても、なぜ人はその行動を取れないのか。強力な要因の一つは、「皆もやっていない(いる)から」という集団意識が働く点です。

    例えば、「睡眠時間は7時間以上が良いとわかっているけれど、周りにそんなに寝ている人はいない」という声を聞きます。日本人の平均睡眠時間(2021年)は経済協力開発機構(OECD)加盟国中もっとも短く、「寝ずに頑張るのが美徳」という感覚がいまだに残っているところもあります。

    人間は社会的な動物なので、自分の周囲の状況を敏感に感じ取り、同じ行動を取ろうとします。これは逆に言うと、周囲が望ましい行動を取っていれば、その行動を取る人が増えるということでもあります。

    なぜ手を挙げるのか

    丸井グループはつい十数年前まで、上意下達の気風が強い組織でした。しかし現在は、重要会議や全社プロジェクトへの参画から、人事異動や昇進・昇格に至るまで、あらゆることが社員による「手挙げ方式」になっています。目的は、自律性が高くイノベーティブな組織をつくるためです。自ら手を挙げた社員は、これまでに全体の82%に上ります。

    社外でこの話をすると、必ずと言って良いほど「手を挙げると評価されるしくみがあるのですか」という質問を受けます。これについては、直接的なインセンティブ制度はありません。意外と「なぜ多くの人が手を挙げるのですか」という本質的な聞き方はされません。社員がわざわざ手を挙げるからには、何か外発的な報酬があるに違いないと考える人が多いのでしょう。

    手を挙げた社員に理由を問うと、「プロジェクトのテーマに興味があったから」「成長したいから」といった答えが返ってきます。ただ私はこの10年間、産業医という利害関係のない立場で社員と接する中で、手挙げの割合がここまで高くなった最大の要因は、「皆が手を挙げているから」(無意識の作用を含む)だと感じています。組織文化のモメンタム(勢い)がつくられていったのです。そのプロセスはこうです。

    第1段階として、成長意欲やチャレンジ精神の高い人が手を挙げます。第2段階では、現業と異なる場に出てイキイキと活動している同僚を見て、「私もやってみようか」と手を挙げる人が増えてきます。各職場では徐々に「私、今度このプロジェクトに入ったよ」「中期経営推進会議の選抜に通ったので、後で皆に内容を共有します」といった会話が、日常的に交わされるようになります。

    すると第3段階として、日頃あまり主体的に行動しない人も、手を挙げる不安よりも挙げない不安─いわば「取り残される不安」が大きくなって、とりあえず手を挙げる行動を取るようになります。集団の同調圧力のようなものが、望ましい方向に作用してくるのです。

    最初の動機はそれで良いと私は思います。手を挙げる際には、なぜ参加したいのか、自分の考えや提案を述べた作文を提出する必要があります。作文を書くためには当該テーマについて勉強し、考えを整理しなければなりません。

    入り口は「取り残されたくない」という気持ちだったとしても、自ら機会を選び、勉強し、意見を述べて選抜され、自発的に活動するプロセスを通じて人は成長していくのです。実際、19年に実施したアンケートでは手を挙げた社員の87%が「成長を実感した」と回答しています。

    ただし、この3段階のステップを進むには時間がかかります。試行錯誤もあり、丸井グループでは手挙げの文化が根付くまでに約10年かかりました。

    「自ら選ぶ」の重要性

    3つのステップでとりわけ重要なのは、第2段階において「参加者がイキイキしている様子を見て、周囲が自分もやりたいと感じる」状況をつくれるかどうかだと思います。

    産業医の仲間と共に私が16年から主催している役員・管理職向けの「レジリエンスプログラム」を例にお話ししましょう。このプログラムは、1期1年間の活動で、現在11期目になります(並行して2本実施した年を含む)。参加者は公募あるいは推薦に基づく希望方式ですが、現在までに実に9割以上の部長職が自発的に参加しています。

    成功のおもな要因は、最初にレジリエンス(困難への対処力)というテーマへの関心が高い役員や部長に、自発的に参加してもらった点にあると考えています。その後、公募した際には3倍を超える応募があったのも、関心の高い人たちが積極的にプログラムに取り組み、「口コミ」をしてくれたからこそです。「ずっと参加したくて、ようやく希望が叶いました」と喜んで参加するマネジャーが何人もいます。

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    役員と管理職が身体・情動・思考・精神性の観点から人間の特性を深く理解し、個人や職場でのアクションの実践を通じて、変化や困難に対応する力を高めるプログラム。1年間のプログラム終了後も、個人と職場のアクションやメンバーの相互学習を継続し、学習する組織をつくる。

    現在、このプログラムは上場企業7社の社長・役員プログラムとして社外にも拡大していますが、自発的な参加方式を取っているのは丸井グループだけです。役職者全員を強制参加とする良さもあるでしょう。しかし、自らの選択による主体的な参加か、受け身的な参加かの違いは、取り組みの真剣さとその継続性に大きな差をもたらすように思います。

    参加者の多くはプログラムを通じて実践した行動(部下の強みに焦点を当てる、仕事の意味感をチームで対話するなど)をその後も継続しています。最近は1年間でモメンタムを効かせる点を特に重視しており、参加者はプログラム終了後も事例検討会などを通して、異なる部門のマネジャー同士で学び合う活動を継続しています。

    私が担当するほかのプロジェクトも含めて毎回うまくいくとは限りませんが、こうして望ましい行動のモメンタムをつくり出すのが、企業で活動する実務家の役割だと思います。そして、人々の行動変容と集団のダイナミズムを肌身で感じられるのが、実務家の喜びであり、醍醐味でもあるのです。

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