Well-being
2024.5.7

産業医と共に、価値をつくる

経営に欠かせない要素として「ウェルネス」や「ウェルビーイング」が注目されています。不確実性が高まっている世の中で企業が生き抜くためには、心身ともに健康で生き生きと働く社員を増やすことが大切です。社員の病気やケガを予防するだけにとどまらず、創造性を引き出し、生産性を高めるウェルビーイング経営とは何か。 産業医と取締役執行役員の2つの顔を持つ丸井グループの小島玲子氏が解説します。 出典:「日経ESG」連載「『しあわせ』が企業価値を高める ウェルビーイング経営のススメ」より

目次

    健康経営に取り組む企業が増える中、産業医と企業の想いとのミスマッチも多いようだ。産業医の役割とその段階を知ったうえで、「共に価値を創る」姿勢が肝要である。

    「良い産業医の先生をどうやって見つければ良いでしょうか」。講演などの場で、私がよく聞かれる質問です。「良い」産業医とは何を指すかを尋ねると、大概、「我が社でも健康経営を進めたいので、それを指導してくれる先生です」といった答えが返ってきます。背景に、今の産業医がそうした働きをしてくれないという不全感も見え隠れします。

    しかし、産業医の資格を持っているからというだけで採用し、健康経営の推進に指導的役割で携わってほしいというのは、実のところ少々無理のある話かもしれません。なぜなら、産業医資格は法定業務の遂行を概ね担保するものだからです。それ以上の役割を求める場合、採用時に合意しておくか、採用後に育成する必要があると思います。さらには、受け身の姿勢で指導を求めるのではなく、その産業医と「共に価値を創る」姿勢が肝要です。

    産業医の「役割段階」

    下の図は、私たち産業医のグループが考える産業医の役割段階のイメージです。一概に段階が高ければ良いわけではなく、企業ニーズとのマッチングが重要です。順に見ていきましょう。

    段階が高ければ良いわけではなく企業ニーズとのマッチングが重要である。
    基本は第1段階。第3段階以上を求める場合、産業医の成長支援に配慮する企業の姿勢も必要だ。

    第1段階は、労働安全衛生法と関連法規に定められた業務遂行で、これが基本の役割になります。

    第2段階は、個別ケースの対応です。
    法定業務と重なる所もありますが、ここでは、関係者と連携する能力を指します。病院の診察とは違って、産業保健は医師と患者だけのやり取りでは完結しません。例えば、病気療養した社員の体調が回復しても、職場側の受け入れ態勢が整っていない状況で突然復職させては、本人も周囲も戸惑います。産業医は日頃から職場環境の理解に努め、その社員の上司などと適宜コミュニケーションを取りながら就労上の意見を述べます。本人のみならず、上司、人事担当者、主治医、保健師、必要に応じて同僚、家族などと連携する必要があります。

    第3段階は、システム構築に関与する役割です。
    人事など関連部署と良好な関係を築き、健康関連業務の流れを俯瞰して捉え、産業医の視点からその改良・進化に取り組みます。健康経営の推進に携わる役割は、おもにこの段階から始まります。

    健康経営とは何でしょうか。経済産業省によれば、「従業員などの健康管理を経営的な視点で考え、戦略的に実践すること」です。経営理念に基づく施策を講じるには、産業医がその企業を深く理解する必要があります。相応の業務時間も必要です。月1回から数回の嘱託契約では、経験豊富で企業内の補完体制を築ける産業医でない限り、法定業務の遂行だけで通常は手一杯です。

    第4段階は、所属事業所の産業保健業務のマネジメントです。
    具体的には、スタッフの仕事の割り振りや、チームビルディングなどがあります。

    第5段階は、産業保健領域全体の統括管理です。
    経営理念や方針を踏まえ、取り組みに優先順位を付け、戦略的に実践します。相応の権限も必要です。

    ここまでが産業保健領域の役割ですが、第6段階は、その枠を超えて企業価値を高める活動を指します。
    産業保健では収まらない役割のため、私たちは「共有部分」と呼んでいます。私が産業医でありながら役員として担う職務はこれに当たります。医学を体系的に学んだ立場から、企業価値向上に貢献する活動です。ただし、共有部分はその前の段階をマスターした後の「応用編」と言えます。

    能力不足のまま高い階層の役割を担うと、期待される価値を生まないばかりか組織にとって害になることすらあります。特に第3段階以上の役割を産業医に担ってもらう場合、ポテンシャルの見極めと能力開発の支援が必須です。

    こうした考え方はどの職種でも同じでしょう。私は丸井グループで役員の職責を担うにあたり、自分で勉強するのは当然ですが、ビジネススクールへの参加などいくつかの能力開発の機会をいただきました。

    ところで、産業医の資格自体は、あまり能力の担保にはならない実情もあるようです。医師が規定単位分、研修を受講すれば取れる資格だからです。一方、日本産業衛生学会の「専門医資格制度」は、指導医の下で5年以上の実務経験が問われます。加えて、筆記試験や口頭試問、面接試験があり、技能が一定の段階に達しなければ合格できません。この資格を持つ産業医は、実務能力で少なくとも上述の第2段階以上、知識では第3段階以上に達すると見込まれます。採用時に資格の有無を確認すると良いでしょう。(2021年時点で、同学会の専門医・指導医資格を持つ医師は全国で約600人)。

    複雑さへの対応力が必要

    「良い」産業医とは何でしょうか。
    「上医の姿勢があり、企業理念に共感し、共に価値を創る姿勢と行動力のある人」だと私は思います。中国の歴史書に「上医は国を医(いや)し、中医は人を医し、下医は病を医す」という言葉があります。医学のバックボーンに基づき、「企業活動を通じて社会を良くするにはどうすべきか」「そのために我々はどう在るべきか」という視座で考えて行動する姿勢。私はそれが産業医の「上医」たる姿だと考えています。

    未来に向けて企業と共に価値を創る場合、産業医には技能以上に、困難や複雑さへの対応力が求められると思います。採用面接では、過去に複雑な状況でどう行動したか、具体的なエピソードを聞くのが有効です。経営学者のピーター・ドラッカー氏は、「専門知識は断片にすぎない。それだけでは不毛である。外の世界のアウトプットと統合されて初めて成果となる」と語っています。

    最後に、各企業にとっての「良い」産業医をどう見つけるか。
    一つのコツは「類は友を呼ぶ」です。良いと思う産業医がいたら、その周囲には似た価値観や、同様の分野に強い産業医が集まっています。紹介してもらうのも手といえるでしょう。