Well-being
2023.5.15

「仕事が進む」が持つ力

経営に欠かせない要素として「ウェルネス」や「ウェルビーイング」が注目されています。不確実性が高まっている世の中で企業が生き抜くためには、心身ともに健康で生き生きと働く社員を増やすことが大切です。社員の病気やケガを予防するだけにとどまらず、創造性を引き出し、生産性を高めるウェルビーイング経営とは何か。 産業医と取締役執行役員の2つの顔を持つ丸井グループの小島玲子氏が解説します。 出典:「日経ESG」連載「『しあわせ』が企業価値を高める ウェルビーイング経営のススメ」より

目次

    物事が前進する喜びなどプロセスリワードが人の能力発揮にもたらす影響は大きい。しかしこのことは、目標や評価というゴールリワードに比べてあまり認識されていない。

    前回、「努力は夢中に勝てない」という話をしました。目標達成(ゴールリワード)に向けて努力する意志力は、脳の前頭葉という部位がおもに司っています。仕事がつらくとも意志力で耐えている状態は、言ってみれば全身は嫌がっているのに、前頭葉が「これをやりなさい!」と強引に引っ張っているイメージです。こうした頭と体の不調和が続くと、時に心身の不調を引き起こします。眠れない、何を食べてもおいしくない、耳鳴りがするなどが典型です。

    これに対して、その活動自体におもしろさや喜び(プロセスリワード)を感じていると、頭と体が調和し、医学的にも健全で能力を発揮しやすい状態になります。努力は夢中に勝てないという意味を表す孔子の言葉は、医学的に見ても正しいと思います。以前、本連載でも紹介した「フロー状態」は、頭と体と外部環境が調和した状態で、喜びとともに最高のアウトプット(成果)を出すのが特徴です。

    それでは、日々の仕事でプロセスリワードを創り出すにはどうすればよいのでしょうか。

    見逃されるポジティブ要因

    米ハーバード・ビジネス・スクール名誉教授のテレサ・アマビール氏らは、マネジメント上どのような要素が働く人のポジティブな心理状態をつくり、創造性と生産性につながるかを調査しました。次の5つの要素のうち、どれが最も効果的な要素だったと思いますか。(1)評価(2)インセンティブ(3)対人関係のサポート(4)明確な目標(5)仕事の進捗のサポート

    アマビール氏は669人のマネジャーにこの質問をしました。すると、各階層のマネジャーとも上位に置いたのが「評価」で、最下位が「仕事の進捗のサポート」でした。

    しかし実際には、1万を超える数の日誌を分析した結果、最も影響が大きかった要因は「進捗」、つまり仕事が前に進んでいると感じられることだったのです。

    もちろんほかの要素も関係していましたが、進捗サポートの影響度合には及びませんでした。部下は仕事が前に進んでいる感覚によってポジティブな影響を得ているにもかかわらず、上司はそのサポートを大して重要と思っていない現状が浮かび上がったのです。

    仕事が進んだ日のポジティブ感情は数日間続き、その間は創造的に思考する傾向がありました。ここで言う創造的な思考とは、アイデアを探求する、思いつく、問題解決に主体的に取り組むといったことです。分析によると、創造的なパフォーマンスの約8割が仕事が進むことによる日々のポジティブな感情から生まれていました。「インキュベーション効果」*とも関連する可能性が示唆されています。

    さらに、仕事でネガティブ感情を抱いている日々では何が起きていたかを調べると、目標の不明確や人間関係の問題以上に影響していた要素は、「障害(仕事が止められたり、妨害されること)」でした。「いかなるマネジャーの職務記述(ジョブ・ディスクリプション)にも、まず『毎日部下たちの進捗を手助けすること』を記すべきだ」と、アマビール氏は言います。

    私は企業の産業医として長年、働く人々のメンタルヘルス不調を見てきました。これまでの経験を振り返ってみると、本人が話すストレス要因は人間関係や評価の問題として表現される場合であっても、その本質には、仕事がうまく進まない、進められないことが関係していると思われるケースが多くありました。

    *インキュベーションとは英語で卵などが「孵化する」という意味で、心理学の分野では無意識下でアイデアが育つ(温まる)ことを指す。

    20マイル行進

    もう一つ、プロセスリワードをつくるヒントとして「20マイル行進」が挙げられると思います。世界的に著名な経営学者のジム・コリンズ氏が著書「ビジョナリー・カンパニー4」で、不確実な時代に飛躍する企業の特徴の一つとして出した言葉です。外部環境が良い時も悪い時も一定のペースを保つことを指します。

    この言葉は、1911年10月に南極点をめざした2つの探検隊のエピソードから来ています。アムンセン隊は初の南極点到達を果たして無事帰国した一方、スコット隊は遅れて南極点に到達後、隊員全員が凍死しました。2人の隊長の考え方や行動の中でも決定的に違っていたのは、前進のパターンでした。スコットは天候が良ければ長距離を移動し、悪ければ動かない。対照的にアムンセンは天候の良し悪しにかかわらず、1日に一定の距離を進むように努めたのです。

    企業もアムンセンと同様の規律が必要だとジム・コリンズ氏は述べています。景気が悪くても総合力を発揮して利益を出し、景気が良くても急拡大させない規律が、不確実な状況で企業を発展させる重要な鍵と言います。

    1911年12月、史上初めて南極点に到達したノルウェーのロアール・アムンセンとその隊員たち。
    外部環境に振り回され過ぎることなく前進を続けたという

    (写真:GRANGER.COM/アフロ)

    私は、これまでの丸井グループの採用姿勢が20マイル行進に当たると考えています。ここ20年ほど、最終損益が赤字を計上した2009年3月期と11年3月期も、その後、業績がV字回復してからも、毎年の採用数を極端に変えることなく、おおむね一定のペースで人材の採用と育成を続けてきました。企業の中長期的な発展のためです。

    フロー理論を提唱した心理学者のチクセントミハイ氏は、目的(意味)がフロー状態を導くと言っています。一方、「20マイル行進」の肝は、プロセスを継続するという意志によって、そのプロセスがもたらす心理的な安定や自信、困難への対処力が高まり、成果につながる点だと思います。

    最後に米国の詩人H.W.ロングフェロー氏の言葉を紹介します。

    「楽しみや、悲しみは、われわれのめざす目的でも道でもない。明日という日を迎えるごとに、今日にまさる自分であるように行動することこそ、目的であり、道なのだ。だから、どんな運命にもめげず、立ち上がり、行動を起こそう。どこまでも完成をめざし、どこまでも目的を追求し、働けるだけ働き、結果を期待して待つことにしよう」

    この記事に関する投稿
    この記事をシェア